「帰り道」

夜八時にもなると街灯の無い練習部屋の辺りは真っ暗だ。夏だったら、遠くのビルの間に仄かに光が残っていることもあるが、さすがにこの季節でそれはなく、月が雲に隠れて笑っている。

練習を終えた帰り、大学から寮までの1時間の散歩。その道中で、さまざまな暮らしを垣間見る。

車の行き交う喧騒な通りを抜けると、家々の灯りが揺らめく線路沿いの住宅街に入る。

窓越しに聞こえる小犬の鳴き声、風呂桶を落とした時に響く硬い音、子どものさわぐ声、電車が通るたびにそれぞれの家庭の夕食のにおいが混ざり合いながら大きな風に溶けて広がってゆく。

ああ、みんな生きているんだな。

と感じる瞬間である。

こうして誰かの暮らしを間近に感じると、自分は今、確かにここに存在しているはずなのに、なぜかたった一人この世界からはみ出して、浮き出ているような感覚に陥ることがある。

それはきっと、自分の中に棲むもう一人の自分の姿を認識したということだろう。

たった一人で歩く時間は、心の中に息づくもう一人の自分と対話する大切な時間なのだ。

ラジオに出させてもらうと、必ずと言っていいほど趣味の話になる。

趣味は何ですか? -強いて言うならお散歩ですかね。

このやり取りはもう飽きた。

ボクはこれといった趣味がない。歌は趣味だと思っていない。趣味は、「好きだから」というだけでなく、気楽に好きな時に、その上手い下手を問われずに出来るものだと思っている。

歌うことはもちろん大好きだが、お客様の前で歌うということは「気楽」にできるものではないし、もしそうしているならば大変失礼な話だ。ボクにとっての歌は、自分の存在を証明する手段であり、憧れであり、誰かを楽しませたいというささやかな願いでもある。

だから、ボクは決して趣味に歌を挙げない。

かと言って散歩が趣味というのもどうだろうという話にはなってくるが、趣味はありませんと答えるよりはいい。

休日はいったい何をして過ごすのか。今までそんなこと考えたことも無かった。

高校時代は、CMやテレビの出演効果でたくさんのイベントに呼んでいただいていたので、週末は休日を過ごすというよりもライブをしている記憶しかなく、ライブが入っていない日に何をしていたのかよく思い出せない。たぶん、自宅か祖母の家で何をするでもなくまったりしていたか、家族でどこかへ買い物に行ったりして過ごしていたんだろうと思う。

ライブの時もそうでない時も、どんな時でも家族と一緒にいたというのは間違いない。

たまに、ごくたまにだが、友人から遊びに誘われることもあったが、やはりライブなどで予定が合わずにそのほとんどの機会をことごとく逃してきたから、いよいよ誘われることもなくなった。

そもそも遊ぶことにお金を使うことが大嫌いだったから、自分から誘うこともないわけで、自然な流れといえばそうなのかも知れないが・・・。

大学に入って環境が変わり、最初の頃は立てるステージも無く、毎週が普通のお休みで戸惑った。何をすればいいんだろう、この時間は。

そうだ、散歩に行こう。

ここ何年も趣味は散歩ですと答えてきたが、その後に必ずこうも訊かれる。

どうして?

自分の中にいるもう一人の自分とゆっくり対話して、心が貧しくならないように心の中を整理をするんです、と答える。

まだもう一人の自分に出会えていない人も意外に多いようだ。

最新記事

すべて表示

「憧れの人たちは」

ようやく、このことを書ける。 野際陽子さんが亡くなった。もう三ヶ月だ。 ネットラジオの収録前、それをディレクターの窪田に知らされた。 数多い女優の中で、いちばん好きだった。 前にも書いたが、高校生のころ、祖母と昼ドラ「花嫁のれん」を見るのが楽しみのひとつで、羽田美智子さんとダブル主演を務めていた野際さんはほんとうに素敵だった。 「花嫁のれん」は、金沢の老舗旅館“かぐらや”を舞台に、そこに嫁いできた

「二週間前」

実は二週間前の今日、22歳になった。 週刊長谷川の更新日と見事に重なったわけだ。なぜそんな絶好の機会にこれを書かなかったのかって。 なんかヤだったのよ。あからさまじゃないの。 それに、誕生日がもう嬉しくない。 もちろん、おめでとうと祝福してもらえるのは嬉しい。とても嬉しいのだが、ひとつ歳を重ねるという事実を受け入れなければならない日なのだ。切ない。 陰気な話しか出てこないが、折角だからライブやラジ

「若者になれた(かもしれない)日」

一曲目から総立ちのライブなんて、おじさん初めてだよ。 昨日、マリンメッセ福岡で開催された星野源さんのライブに行ってきた。意外に思われるかもしれないが、実は星野さんの大ファンである。 会場に着いた瞬間に帰ろうかと思った。人が多すぎる。入場待ちの列が途切れることなく、どこまでも続いている。すごい。 博多駅からマリンメッセまでは直通の臨時バスが出ていて、こちらもバス停には長蛇の列ができていた。次から次に

©︎2019 Team HASEGAWA.ALL RIGHTS RESERVED

長谷川万大 オフィシャルサイト