「言葉は風」
深夜、ひとりきりの寮の部屋でテレビを見ていると、突然母からラインが来た。
「NSPを聴いてたら、17歳の頃を思い出した。『チッチとサリー』という本にハマって詩を書いたり、友達のラブレターを代筆したりして。私も文章を書くのが好きだった。」 って。
そのままではないが、こんな内容のものが絵文字にまみれて送られてきた。
そして最後に、同じ血が流れてるね、とあった。
今まで不思議に思っていたことが少し解明された気がした。
ボクは、親戚を含めた身内の中できわめて特異な存在だ。母も父も姉も、親戚家族も皆んな、それぞれに実績を残してきた完全なるスポーツ系の人間なのである。
どうしてその中でたった一人、こんなのが出てきてしまったのか、というのは一族の七不思議の一つだった。
残る六つの不思議があるかは知らないが、これまで事あるごとに言われてきたことだったのだ。
母からの深夜のラインを受けて、ボクも自分の足跡を辿ってみた。
いつから文章を書き始めたんだろう。
言葉自体に興味を持ったのは、おそらく幼稚園に入る前からである。ボクは20年来の熱狂的なキョンシーファンで、キョンシー映画を字幕スーパーで見ることが多かった。字幕に出てくる漢字は当然読めないし意味も分からないが、見様見真似で「幽霊」や「殭屍(キョンシー)」と書いてみたり、きわめつけはキョンシーの額に貼って動きを封印するキョンシー退治の必須アイテム「お札」を完コピして書いたりしていた。腕は少し鈍ったが今でも書ける。
成長するにつれ映画やラジオに関心を持つようになると、自分で構成を考えてカセットテープでガチャッと録音しながら自主制作ラジオを作ってみたり、小・中学校のクラスの出し物の劇ではそのほとんどの脚本と演出に携わった。もちろん出演もした。
そして以前にもどこかで書いたように、中学一年生で阿久悠さんに出会い作詞を始めるようになる。
このエッセイのように、詞でも脚本でもない、“文章”を書くようになったのはごく最近のことだ。昨年出したミニアルバム「ヴィンテージ」のライナーノーツを書いてから、純粋に文章を書く面白さに気付いた。
これが長谷川万大の文章遍歴だ。こうして振り返ると、意外といろんな分野を網羅している。
言葉というのは生き物であるし、たった一つの言葉に対して、受け取った人の数だけその意味が存在する。言葉で想いを共有するということは、実は不可能ではないかと思う。
言葉のキャッチボールというが、この例えもボクは納得いかない。
ボールは形としてそこにはっきりと存在していて、投げる感触も受け取る感触も、そして宙を舞う姿も分かる。
だが言葉は、投げた瞬間からその空間に溶けていく風のようなもので、私はこういうつもりで投げたのに、この人にはそういう風に伝わったんだ、と風向きが変わったり、あらゆる匂いを纏って化けるのはよくあること。
この時点でボールはもうどっか明後日の方向に飛んで行ってる。意思疎通はさておき、お互いに言葉を交わすことだけでよいのならこれもキャッチボールと言えるだろうが、そんな中身の無いやり取りに意味を見出せない。
人がひしめき合って生きるそれぞれの営みの中で、言葉は想いを伝える手段の一つであり、もっとも容易く出来ること。だからこそ、言葉の受け取り方や投げかけ方を少しでも間違うと、望まない軋轢が生まれる。
そこでどう上手く生きていくかを誰もが無意識に模索しながら過ごしている。
ボクといえば昭和歌謡ばかりを歌ってるイメージだから、毎週こういう風にエッセイを書いているなんてことは、きっとほとんどの方がご存知でないだろう。作詞・作曲していることすら知らない人も多い。一応、シンガーソングライターを名乗っているのだが・・・。
言葉と同様に他人からのイメージというのも、自分の思惑通りにはいかないもの。だからこそ面白いし、多種多様の感触を得られる。
やめられないんだなあ、これが。