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「嗚呼惜春」

更新日:2018年12月31日

3rdアルバム「綺譚」収録


こないだ地元に帰った時、高校時代の友人たちと呑んだ。

卒業以来の再会となった人もいたが、不思議なもので、会った途端にあの頃の続きになる。

会うまでは色々と考えるものだ。高校の頃どんな風に接していたっけ、数年ぶりに会ってどういう感じで話せばいいんだろう。なんとなく不安になったりする。

ところが、会った瞬間にそんなことはもうすっかり忘れて、みんなの顔つきは高校生の輝きを取り戻している。

話題は自然と思い出話になる。ボクが憶えていても相手が忘れていたり、ボクの記憶から消え去っていたものを甦らせてくれたり、お互いに修正を加えながら、薄れていた思い出に色を塗り足して、みんなでなぞり合った「今日の思い出」として生まれ変わる。

ふと話が途切れた時、でもやっぱり歳取ったよね、と誰かが云った。ボクだったかも知れない。

まだ若いとはいえ、あの頃からすると、当然幾らか歳を重ねている。

すでに社会人として働いている人ばかり。短大や専門学校に行った人たちも卒業しているから、ボクみたくまだ学生をやっているヤツはもうほとんどいない。

高校の頃から老け顔のクオリティーは高く(大学に入って僅かに若返ったとは言われたが)、見た目はたしかにボクのほうが老けていても、働き出しているみんなのほうがずっとずっと大人だ。

学生服に身を包んでいた頃、数年後にこうして酒を交わしているなんて想像もしていなかったし、本当に大人になるとは夢にも思っていなかった。

時間はこんな風に流れていくものなんだ。

残酷だと思う。

友人たちとの再会から一夜明けた朝、目覚めるといつも、昨夜のことが夢だったような錯覚に陥る。

そして猛烈な孤独感と喪失感に苛まれる。

学生時代にみんな同じ場所で同じ時間を過ごしてきたことすらも、少し目を閉じている間に過ぎた絵空事のようだ。

それぞれに抱えている荷物の重さや大きさは違えど、たしかに、あの頃同じ場所で同じ時間を過ごした。

歳を重ねるごとに得るものも失うものもそれなりに増えて、心は使い古されていく。

生きることに疲れてしまった時、もう少しがんばってみるか、と思わせてくれるのは、まだまっさらな心を持っていたあの頃の思い出たちだろう。

嗚呼・・・それは心の奥にこびりついた叫びである。

嗚呼・・・それは感情を超えて溢れ出す叫びである。

嗚呼・・・誰かは分からないがとにかく誰かに届いてほしいと願う切なる叫びである。

あの頃の歌を口ずさむ時、それは心にひびが入った合図かもしれない。

どうぞ思い出して。

消えることのない日々のぬくもりを、どうぞ思い出して。


「嗚呼惜春」

作詞・作曲・編曲 長谷川万大


夢から醒めればまたひとり あの日の歌を

口ずさみながら 出掛けていこう

夢を語り合えば やがて朝に

思い返せば ただ愛しくて


道のかたわらに 見つけた花

あの日の僕のよに ただひたむきに

花は散るためには咲かない 散るその日まで

ちいさなしあわせ だれかのために


夢から醒めればひとり旅 あの日の歌を

口ずさみながら 出掛けていこう

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