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「どーもどーも。」

なぜこのタイミングでエッセイなど書き始めたのか。

実は1年前から企んでいたのだが、同時期にいろんなことが重なって何やかんやしているうちにすっかり忘れてしまっていた。

そんな折、実家の引越しをしていたら当時高校生のボクが書いた自伝らしき原稿が出てきた。

400字詰め原稿用紙、約20枚。

いつの間にこんなに。

なんとなく読み始めるとこれがなかなか面白い。書いた記憶がまったく無いので、大袈裟な言い方だがまるで他人が書いた文章を読んでいる気分になり、上手下手はさておき、すっかり過去の自分が作り出した世界に魅了されていた。しかも書きかけで中途半端に途切れていて、それによるザイガニック効果も手伝って尚更入り込んでしまった。

ザイガニック効果、またはザイガルニック効果との呼び方もあるが、ここで説明すると長くなるので割愛します。あとでグーグル先生にでも訊いてみてください。きっとボクよりやさしく答えてくれるはずです。

そんな書きかけの原稿を読んでいると、今はもうすっかり忘れてしまっていたあの当時の、10代半ばのボクが感じていたことや考え方、どんな風に自分自身を見つめていたのかが手に取るように分かった。

人間は変わり続けていく生き物だから、言葉を残していくって大事なことなんだと、ここにきてようやく気が付いたのだ。

そんなこんなで、これに至る。

それに、あの頃のボクに、

「おい、何やってんだ! “今”はもう戻ってこないんだぞ! 何か書かんか! このばかたれ!」

などと言われているような気がして、なんだか腹が立ってきた。

原稿用紙の、今とあまり変わらない自筆の文字一つひとつが浮き出てきて、さも襲いかかってくるかのような恐怖に苛まれ、いつしかそれが怒りへと変わり、ワケが分からないがやってやろうじゃねえかあああ!!! とムキになった結果でもある。

何より引っかかったのは、”今”という言葉。これをテーマに何度か曲を作った。

その中の一つが『時の流れよ、ゆるやかであれ』。

それには、

“いつかくるその時とは、めぐりめぐって訪れる今のこと”

と書いた。

ボクが思うに、“今”とは針の一番鋭い部分で、どんな時でも最先端にあるもの。その針は休まず過去という糸を紡ぎ続けている。どこへどれほど進もうとも、針は布を貫き、長い長い糸を率いているのだ。

言葉を換えるなら、上書き保存。時としてそれは、忘れてしまうものでもある。

きっと引越しの時に偶然引き出しの奥から出てきたのは、当時のボクからのメッセージを受け取るちょうど”今その時”だったからに他ならない。

あの頃もちゃんと、”今”を生きていたぞ、と。

だから、今もしっかり糸を紡いでいくんだぞ、と。

これから「週刊 長谷川万大」に寄せる言葉や文章は、そんなあの頃の自分への返事と、未来の自分へのメッセージ、そして常に“今を生きていた”足跡として残していきたい。

それぞれの営みの中でこの拙い文章を最後まで読んでくださったあなたにとっても、ボクの何気ない言葉たちが心のどこかで音を立ててくれることを祈りながら、、、

ありったけの感謝を込めて。

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